彼らは僕が無事にここに来ることができるのか、かなり心配していたらしく、家の前の道路まで出て来て、僕の到着を首を長くして待っていたのでした。
僕はさながら長旅でも終えたような気持ちで、彼らとの再会を喜びました。そして僕をここまで連れて来てくれた、たいへん親切なご夫人に、心から感謝とお礼を述べて、ご夫人の車が見えなくなるまで手を振って見送りました。
僕らは少し談笑してから、急ぎ足で彼らの車で会社に向かいました。
会社に到着してから、会社内を少し案内してもらって、僕は会議室に通されました。
会議室では、この会社が作っている壁紙のサンプルやデザインの原画などを見せてもらい、製品の説明、会社の形態のようなものの説明を一通り話してくれました。
そこの会社が作っている壁紙は普通の壁紙とは少し異なり、材料は樹脂のような物で、ちょっと厚めになっています。それはデザインのテクスチャーまで再現できるようになっているのです。
それらの壁紙は主に世界中のホテルやレストランに使っているとのこと。本社はイギリスにあり、工場がドイツということらしいです。
デザインの仕事はイギリスの本社とニュージャージにあるこの会社でしていまです。
まあ、ざっとこんな感じの説明を受け、そして話は核心へと入り、彼らからある提案を受けました。
早い話がどうやら僕をデザイナーとして雇いたいということらしいのです。
具体的なお給料のお話まで出まして、彼らが提示した額は僕のスキル(デザイン力、技術力)をきちんと認めてくれたであろう額でした。
それから最初はどういう感じで仕事をしてもらうとかなど、さらに話は突っ込んだ内容に進んでいったのでした。
そして極めつけに一言、「あなたはアーティストより、ぜったいデザイナーが向いている!」と断言されてしまいました。
話がどんどん進んでいくので、ちょっと戸惑いながらとりあえず、僕はなんとかその場を凌いで、後日連絡することを約束して彼らと別れたのでした。
マンハッタンのポートオーソリティー・バスターミナルに着いた頃には、すっかり日も暮れていました。
ハプニングあり、親切あり、再会ありの、久しぶりに濃い一日でした。
それからどうなったかといいますと、僕は彼らの提案をお断りしたのでした。
まあ、そうじゃないと今頃はまだ、日本に帰ってきていないかもしれません。
けっして悪い話ではないのですが、当時の僕は美術学校に入学して、やっと自分が尊敬できる先生に出会い、彼の元で学べる喜びと、それからストリートも順調に作品が売れるようになりだした頃で、この両方を捨てることができなかったのです。
そして、今となってはアーティストもデザイナーも、どちらがどうと言うこともなく、こだわりはありませんが、最後に彼らが僕に言った言葉、「あなたはアーティストより、ぜったいデザイナーが向いている!」という一言は、当時の僕としては、ショックな宣告だったのです。
はたして僕が下したこの結論はどうだったのか。
どう考えても、目先のことしか考えずに判断してしまっことは、否めません。
もし僕がその会社でデザインの仕事をしていたら、今頃どうなっているんだろうなんて、考えたところでわかりませんが、もしかすると、この世界的な大不況の影響で、職を失っているこもしれませんし、その逆で大躍進しているかもしれません。
でもね、グリーンカードを取得して、NYにずっと住む事が最終的な目標であれば、僕の下した決断は間違っているのかもしれません。
しかし、僕の目標はそうではなかった。
不思議と彼らからこの提案を受けた時、迷いはまったく無く、すでに僕の気持ちは決まっていました。この話を受諾することはないだろうと。
なぜだかわかりませんが、まさに直感です。
最後にもう一つエピソードを。
実はニュージャージの会社へ訪問する前に、僕は密かに彼らがたぶん好むであろうと思われる作品を4点ほど新たに作って、それを鞄にしたため持って行ったのでした。
僕の思惑通り、彼らはその作品をまた購入してくれたのでした。
我ながら、したたかです。(笑)